太陽の風に乗る旅

       オーストラリア編

1.Sensational Adelaide 第一回ワールドソーラーサイクルチャレンジ
  ・ オーストラリア大陸縦断のソーラー自転車レース
2.ソーラーバイシクルの旅へ
  ・ 不安な旅の始まり
  ・ 夢のソーラーパワーハウス
  ・ タスマニア島
  ・ フォールディングカヤック製作
3.シーカヤックの旅へ
  ・ ボートビルダーの島タスマニア
  ・ ゴードンリバーのブラウントラウト
  ・ ソーラーパワーシーカヤック完成
  ・ 太陽の光の国SUNRAYSIAと風のCOORONG
4.新たな旅へ
  ・ 太陽に焼き尽くされた、KAKADUナショナルパーク
  ・ KAKADU生まれ変わりの瞬間
  ・ あとがき

 1.SensationalAdelaide

第一回ワールド・ソーラー・サイクル・チャレンジ

オーストラリア大陸縦断のソーラー自転車レース

レース7日目 DAY7

オーストラリア大陸縦断のソーラー自転車レース 「ワールド・ソーラー・サイクル・チャレンジ’96」スタート地点、オーストラリア北部の都市ダーウィンから既に2000Km以上南にいた。

我々のチーム、天然電力がエントリーしたStandard・Production・Bicycle部門(普通の市販自転車を改造した部門)には3カ国5チームがエントリーしていたが、ダーウィン付近の猛暑のためか、メンバーが死亡したチームがあり、2チームは既にリタイヤしていた。残りの3チームは天然電力、秋田DreamyBoys、オーストラリアMeadow Bank。DAY7の距離は254km。メンバーの数で、他の2チーム(5、6人)に比べ圧倒的に不利だった僕らは(3人)、何としても距離の短いこのDAY7、トップでゴールしたかった。

DAY7スタート

太陽エネルギーと人力とを組み合わせて走るソーラーバイシクル。自転車後輪上に太陽エネルギーを電気エネルギーに変換するソーラーパネル、前輪の左右には発電した電気エネルギーを貯えるバッテリー、電動モーターを装着し前輪を駆動させ、後輪は普通の自転車と同じように人力で回す。モーターのアクセルを握り、ペダルをこぐとすぐに時速40kmまで加速できる。

スタートは快調だった。モーター最大出力で他のチームに勝る僕らは、時速40kmで、多少の体力と電力の無理をして、スタートからぐんぐん引き離しに出た。先行逃げ切りだ。

もう安全圏だと思っていた200km地点で、後方にDreamy Boysチームが現れた。あと60km。抜かされるわけにはいかない。しかし、前半無理をした僕らに力は残っていなかった。じわじわと差をつめられ、ついに抜かされた。

グングン差を広げられ、「これまでか」とも思った。

しかし前のライダーが頑張ってくれたお陰で、僕が使うバッテリーは1/3ぐらい充電できた。僕も7日間走り続けてペダリングに慣れ、最高のコンディションだった。精神的にも妙に落ち着いていた。

「あのはるか前方のDreamy Boysを追い抜く!!」

Dreamy Boysはまだ視界から消えてはいなかった。

「僕自身への挑戦だ。これから出発するソーラーバイシクルの旅への挑戦。」

大学時代、ソーラーカーチーム「天然電力」を山口君と結成し、いつか海外放浪の旅に出たいと思っていた僕は、ソーラーパワーの素晴らしさを世界に広げるべく、ソーラーバイシクルの旅に出る事を決心していた。第一回ワールド・ソーラー・サイクル・チャレンジはその旅の始まりなのだ。

なぜか落ち着いた心の中で抜けそうな気がした。

静かにペダルをこぎ始めた。ペダルを思いっきりこいでもこいでも一向にDreamy Boysには近づかない。カーブでは視界から消え去りそうにもなった。単に足の力と根性だけではとても追いつけない状況にあった。

「だめだ、このままでは追いつけない。空気抵抗を減らすしかない。」

かなり危険だが、極端な前傾姿勢で前方を見ず、地面を見てペダルをこぐ。目の前を流れゆくStuartハイウェイの路面が、このまま急な段差も障害物もなく平らであってくれる事を祈りながら、見る事の出来ないDreamy Boysに近づきつつある事を感じていた。

「負けるわけにはいかない」

しばらくして前方を見ると、Dreamy Boysとの差は縮まっていた。身を危険にさらす事で確実にスピードアップしていた。しかし、それでもまだこの状態では僕の体力が尽きる前にDreamy Boysに追いつくかどうか微妙な所だった。

ハンドルに取り付けられた電圧計を見る。ここまで、モーターの出力を抑えていたので、電圧計の針はまだ少しバッテリーが残っている事を示す位置にあった。

「こうなったら一かばちかモーターの最大出力を出して一気に追いつくしかない。」

アクセルを最大まで上げ、再び地面を見て黙々とこぎ続ける。

「追いついてくれ!」

僕の体力もバッテリー残量も限界ぎりぎりだという事が分かっていた僕は、祈るような思いでペダリングに集中した。

しかし、少しずつ近づいては行くものの、僕の体力も限界に近かった。このままでは追いつく前に体力もバッテリーも尽きてしまう。どうしても短い時間で追いつく必要があった。

「これ以上どうすればいいんだ」

下を向いてペダルをこいでいた僕は、前輪のモーター駆動部分の3段ギアの位置に目が止まった。

このソーラーバイシクルを設計する時、回転数の違うさまざまなスピードでモーター最大出力を出すために、モーター駆動部分の前輪のハブには3段ギアのものを選んでいた。山口君と浜松の北にある都田テクノサーキットコースで試運転を重ねていた時、この3段ギアの低速と高速で、モーターの最大出力の少しの違いを確認していた。

「まだスピードアップできる!!」

3段ギアを高速にチェンジし、スピードメーターの表示は時速1kmアップした。

「あとはバッテリーと僕の体力がどこまでもつかだ。」

地面を見て黙々とこぐ。Dreamy Boysは射程圏内に入った。追い抜ける可能性が出てきた事によって、僕の体は自分でも信じられないパワーを出していた。

しんどいとか疲れたとか、そういう気持ちは一切なかった。目前にあるDreamy Boysのソーラーバイシクル、驚きの表情で僕を見るDreamy Boysのメンバーたち。僕は心からこの勝負を楽しんでいた。

そして、ついにDreamy Boysのソーラーバイシクルの真後ろについた。しばらく後ろについて、体を休めた。タイミングを見計らい、真横に並んだ。Dreamy Boysもスピードを上げ、なかなか追い越せない。しかし自分でも信じられないパワーが湧き出て、とうとうDreamy Boysを抜いた。まだDreamy Boysはピッタリ後ろについて追いかけてくる。後ろを見ず、空力スタイルで引き離す。しばらくて後ろを見るとはるか後方にDreamy Boysがライダー交代のためにストップしていた。

僕は大きく手でサポートカーにライダー交代の合図をした。

「いけるかもしれない」

ゴールまでの距離は残り30km。一時はDreamy Boysが見えなくなるぐらい引き離した。しかしさっきの限界を超えた40分の走りで、僕の力は殆ど残っていなかった。僕が走行している時にかなり差を縮められ、次の交代で再び抜かされた。そして2番目でゴール。

結局Dreamy Boysには勝てなかったが、僕の心は満足感にあふれていた。無茶苦茶面白かった。興奮した。この記録を書いている一年後でも、あの40分のことは鮮明に思い出す。一生忘れることはないだろう。

このデッドヒートでDreamy Boysチームの人達と仲良くなった。

「まさか抜かされるとは思ってなかったよ。」

「いやー興奮した。あなたがたがこうして頑張ってくれるからレースが面白くなる。」

これからの旅に向けて、自分の可能性を再認識した40分だった。

9日目、ゴールのアデレードに到着。WSCC'96は終了した。

2.ソーラーバイシクルの旅へ

不安な旅の始まり

WSCC'96参加を決意してから終了の日まで、とにかく出場して完走することが唯一最大の目標だったから、それから先どんな旅にしようか、どこへ行こうかなんて全く考えていなかった。そんな余裕はなかった。

アデレード空港で日本へ帰る2人を見送り、ソーラーバイシクルにかかってしまっていた$1500の関税の方もうまく片付いた。この関税の処理をして下さった日本人の方が僕に言った。

「これからどちらに行かれるんですか」

「とりあえず東にでも行ってみようと思っています。」

「いいですなあ。そんな旅をしてみたいなあ。」

『これから僕は、このソーラーバイシクルに乗って旅をするんだ。予定は全くない。どこへ行き、何が僕を待っているのか、全く分からない。しかし、きっと何か素晴らしいことが僕を待っているに違いない』

テント、寝袋、ギターなどがくくり付けられ、旅仕様になったこのソーラーバイシクルには、そう思わせる不思議な魅力があふれていた。

アデレードを出発。さっきまでの昂揚した気持ちは、一転して不安に変わった。モーター、バッテリーで増えた重量にキャンプ道具、工具、食料、ギターなどが加わり、完全に重量オーバーでバランスが悪く、時速25kmも出すと、ハンドルが震えて止まらない。震えるハンドルを何とか押さえつけ、東へ進む。40kmぐらい進んだGawlerという町から急坂となった。

このソーラーバイシクルのフロントチェーンリングには、レース用の61Tのもの一つしかついていない。ここでソーラーパワーを発揮して、軽々と登れたならたいしたものであるが、登れなかった。スピードが遅すぎて、ハイスピード用にギア比を設定したモーターの回転数と合わないので、出力が出せないのだ。

「これではソーラーバイシクルで旅をする利点がないではないか」

しかし、そうも言っていられないので、押したりしながら進む。

この時、僕は日本のような潤いのある自然に飢えていた。レース中、何回か川を横切り、水と潤いがあることを期待したのだが、期待もむなしく殆どすべての川の水は枯れていた。そして何もない広大な大平原、40℃の高温、乾燥しきった大地。砂漠のようなオーストラリアの自然に僕は打ちのめされていた。地図を見ると西は砂漠、東は川が多くあって潤いにあふれていそうだった。東に行こうと思ったのは、こういう理由からだ。

「とにかく水のある川を見たい」

アデレードの南からMurray Riverという大河が東へ向かって伸びている。とりあえずの目標として、この川を溯ってみることにした。

Morganという所でMurray Riverに合流。茶色に濁った水の中に、枯れた沈木がいくつも立っていた。

日本の川と比べると、はっきり言って砂漠のような川だが、川に水があるというだけで気持ちが安らいだ。

苦戦しながら進み、3日目、Renmarkの近くのMurray River川岸に腰を下ろし、夕暮れの川を眺めながら、僕の好きなスピッツの曲を弾く。

アデレードを出発してまだ3日目だというのに、心身ともに疲れ、悩んでいた。

「いったい僕は何をしているのか。ソーラーバイシクルは大して力を発揮できていない。英語が聞き取れず、大した会話もできない。自由な時間がいくらでもあるのに、取りたててやりたい事もない。時速100kmですれすれに通り過ぎる大型トラックに脅えながら、ただ道を走っているだけだ。こんな調子ではこれからどうなるのか。日本で思い描いていたソーラーバイシクルの旅。太陽がある限り、どこまでも。そんな旅がはたして出来るのだろうか。」

そんな事を考えながら、気持ちを紛わすためにギターを弾いていると、一台のカヌーがやって来た。僕が弾くのをやめると、「もっと弾いて!」と催促された。

人前で弾き語りをした事はあまりないので恥ずかしいが仕方ない。スピッツの「夏が終わる」という曲を、最初から最後まで弾き語りした。まあまあギターもうまく弾け、歌もうまく歌えた。カヌーは三台になっていて、初めて僕の演奏に対して拍手をもらった。

水面を自由に進んでいくカヌーを見ていると、

「カヌーはいいなあ。Murray Riverをカヌーで下ったら面白いだろうな。こっちは道路に縛られ、トラックに脅かされる毎日だというのに。ソーラーカヌーの旅の方が良かったかもしれない。」と思うのだった。

あれほど欲しかった自由を手に入れ、ソーラーバイシクルで旅をしているのに、心は曇りがちだった。

Renmarkから次の大きな町Milduraまでは140km。1日で行けるかどうかやってみようと、次の日の朝早く出発。この日は曇りがちで風が強かったが、追い風で常に時速25km以上は出ていた。そして、体が慣れたのか、食料が減ったためか、この頃からハンドルの震えが全くなくなっていた。

「やっと、ツーリングソーラーバイシクルの性能を体感できる」

曇りなので、平坦路は省エネ走行、人力のみ時速25kmで進み、上り坂はアクセルを握り、時速30kmで進む。まず実感できたのが、この上り坂での力強さである。荷物満載の重い自転車だが、何の疲れもなく登って行ける。それも平坦路よりも速いスピードでである。現れる坂道を時速30kmで楽々乗り越え、順調に進み、Milduraに到着した。

MILDURAを出発。この日も強風だった。突然前方が砂煙に包まれ、先が見えなくなり、辺りを見渡すと、所々に竜巻が発生し、地面の砂を巻き上げて動いていた。始めは恐くて逃げていたが、次第に興味が出てきてソーラーバイシクルごと突っ込んでみようと思ったが、今度は逃げられ、一度も中には入れなかった。

すごい強風なので、枯れ草のかたまりや、大きな木の枝が横から飛んでくる。道路上には障害物がいっぱいあって動いている。

強風の中、自転車のバランスを保ち、障害物をよけ、横から飛んでくる草木に注意しながら進むのは、かなり面白かった。

「まるでゲームをしているような感じだ。」

次の日、3時間ほど充電し走り出す。途中、無風状態なので、走行テストを試みた。

走行条件・・・無風、快晴、平坦路(多少UPDOWNあり)

ペダリングなし。3時間充電

結果・・・・走行距離、7km、走行時間18分

平均速度 23・3km/h

最低 15km/h 最高 30km/h

上りも下りも常に低速ギアで、アクセルをいっぱいに握った状態で走ったので、走行距離は7kmだったが、下りでアクセルを切れば10kmぐらい行ったかもしれない。しかし、とにかく太陽の光を3時間、小さなパネルに受けたエネルギーだけで、7km連続して進めたという事実は、これからの可能性を示してくれた。

アデレードからずーっと走りながら、

「どこへ行こうか」

と地図や雑誌を見ていつも考えていた。

タスマニア島。

写真を見ると、美しい山や川があって日本のようだった。オーストラリア大陸の特徴は、広大な平原や砂漠だろう。こういう景色を見て「素晴らしい」と感じる人もいるだろうが、僕には耐えれなかった。日本の美しい山、川、雑木林が恋しくてしょうがなかった。

さらに「Australian Amateur BoatBuilder」という雑誌を見ると、なぜかタスマニアの名前が数多く出てくるのだ。

「日本のような美しい自然を持ち、ボートビルダーが住む島-タスマニア。タスマニアへ行けば僕が探している何かが見つかるかもしれない。」

Murray River沿いの町Echuca辺りから南下すれば、ちょうどタスマニア島と海を隔てて向かい合う、メルボルンに行ける。Echucaからメルボルンへは、似たような2つの道があり、一方はBendigoを通過する。何かのパンフレットにGoldTown(ゴールドラッシュで栄えた町)と書かれていたBendigoの方に引かれる。「ゴールドラッシュ」と聞くだけで、何かワクワクするものがある。北海道を自転車で走ったときも、「ウソタンナイ砂金採掘公園」に強く引き寄せられ、砂金を日が暮れるまで探したものだ。

Bendigoまで走り、図書館に入る。

昼頃、僕がベンチで食事をしていると、いかにも親切そうな人が話しかけて来た。

「今日はどこに泊まるんだ?」

「分からない。どこかの公園に泊まる。」

「あのビルに泊まる所があるんだ。一緒に行こう。」

無料で泊まれる所があるのかと期待してついていったが、モーテルでいかにも高そうなので、

「安くキャンプしたいんだ」

と言うと、彼は自分の財布から$50紙幣を取り出しかけたが、僕は断った。僕はお金も十分に持っていないし、

欲しいのだが、こんな親切な人にもらうのは悪いし、何かこのお金を受け取ってしまうと、僕の旅が面白くなくなってしまうような気がした。

結局、近くの公園でキャンプ。夜は異常に寒くなり、あまり快適ではなかったが、もらわなくてよかったと思った。

翌朝、なぜかメルボルンに行くよりも、図書館でもっと情報収集がしたくなり、再び図書館に行く。オーストラリアの図書館では無料でインターネットが使える。インターネットでさまざまな情報を探していると、カウンターの人が来て言った。

「図書館カード持っていますか?」

「いや、持っていません」

「それなら何か身分証明できる物を預かります。」

「えーっと、それじゃあこのクレジットカードを」

いくら図書館の人とはいえ、大切なクレジットカードを預けるのは常識はずれだった。

「他のものにして下さい。」

日本の運転免許証を渡した。

安心して、続けていると、またやって来て言った。

「3:30まで待ってくれますか?」

どうやらインターネットを使いたい人がいるようである。まあ旅行者の僕よりも、ここに住んでいる人が優先されるのは当然だ。僕があきらめて書籍の方に行こうとすると、一人のおじさんが

「インターネットの使い方を教えてくれ」

と僕に言った。

3台あるコンピュータのうちの1つを使っていた人である。彼は、僕を見てかわいそうだと思ったのだろう。

「どこの国から来たのか?」

などと聞き、それに関する情報をインターネットで探してくれた。僕の故郷の姫路城などについての情報が写し出されると、彼はゆっくりと、その英文を僕が聞き取りやすいように喋ってくれた。

「カフェに行こう」

近くのカフェで話をし、僕がWSCC’96に出場し、ソーラーバイシクルで旅をしていることを知ると、

「家に来ないか?夕食はどうだ?」

と夕方、おじさんの家に行く。

彼はまず、紙にA,B,C・・・とアルファベットを書き、発音してくれた。僕の発音がよほどひどかったのか。しかし、発音練習も空しく、彼との重要な意志疎通はこの後、紙に書いたWrittenEnglishになってしまったが・・。

彼の名前はKeith。非常に文化人で、本も出していて、世界中のことについて詳しく、最近コンピューターを買い、自宅でもインターネットをする予定だ。彼は友人らに僕の事を電話で話し、新聞社、テレビ局にまで電話をした。

明日の朝10時に新聞社とテレビ局が来る。僕にとっては大事件である。

今回の旅の大きな目的の一つは、

「多くの人にソーラーバイシクルを見てもらって、ソーラーパワーを世間に広める。」

という事であって、これは願ってもないチャンスだ。

翌朝十時、写真撮影、インタビューなどをこなし(ほとんどは既に僕の事を良く知っているKeithが答えたが・・・)、テレビ局が走行している所を撮影した。あまりいい映像ではないと思うが大丈夫だろうか・・・。

これからメルボルンに向かう僕にKeithは忠告した。

「メルボルンは大都会でとても危険だから気を付けろよ」

グレートディバイディング山脈を越えて150km。大都会メルボルンへ。

州立図書館の前にソーラーバイシクルを置き、街中をうろつく。オーストラリアに来て、これだけは絶対やってみたいと思っていた事は、街でのギター弾き語りだった。僕のギター暦は6ヶ月。そもそも、海外に行く事を決心してからギターを買い、練習を始めたのだ。声には少し自信がある。街のメインストリートに行き、様子を見る。さすが大都会メルボルンだ。アデレードに比べると、どれも個性的でレベルが高い。ギターケースの中に自分のCDを並べて売っているような人たちばかりだ。僕の即席ギターでは全然話にならない。この街中で弾き語りをする決心がつかず、自信をなくして、自転車の所に戻って来て、パンをかじっていると、一人のおじさんが話しかけてきた。

「これ君の自転車か?面白い自転車だなあ。どういう仕組みになっているんだ?」

毎日のように、こういう質問をされるので、僕も慣れたものである。太陽電池、バッテリー、モーターと説明し、前輪を持ち上げてアクセルを握りタイヤを回転させる。いつもの事なので、何事もなく終わるかと思っていたが、

「今日はどこで泊まるんだ?」

「どこかの公園か、川岸でキャンプしようと思っている。」

「公園は危ないぞ、誰かが君を襲うかもしれないぞ」

と、棒を振り下ろす真似をした。

「私が探してくる。少し待っていてくれ。」

と、YHAの住所を書いた紙をもらって来てくれた。しかしYHA代をも惜しむ僕にとっては高すぎる。

彼の友人2人も来て、話をする。そのうちの1人、

アランさんは白髪、白い長いあごひげで、サンタクロースのような人である。

「私の家の庭はブッシュで、キャンプするにはいいぞ。」

この三人はキリスト教の教会の仲間で、日曜日の今日はミサに出るために、メルボルンに来ていたのだ。この教会と州立図書館は、道路を挟んで向かい合わせにある。

ミサが終わりアランさんの家に行く事になった。

ここから100kmほど離れたMAUDEという所にあるアランさんの家に車で向かう。アランさんは、

「私の家の近くには小学校があって、そこには日本人の教師がいる。小学校に行って、ソーラー自転車を子供たちに見せるというのはどうだろう。それは子供たちにとってとてもいい事だと思うぞ。日本人の教師は英語もうまく、君は日本語で説明すればいい。」

と提案してくれた。

人前に出ると、すぐに緊張して顔が赤くなる僕だが、ここは外国だ。外国というだけで、何でも出来てしまうように思える。

車のヘッドライトに照らされ、闇の中看板が浮かび上がった。

「KOALA COUNTRY」

何だか楽しい事が始まりそうな予感がした。

夢のソーラーパワーハウス

アランさんの家に、夜遅く到着し、翌朝コアラを見に行くことになった。

「オーストラリアといえば?」

と質問すれば多くの人が

「コアラ!」

と答えるだろう。オーストラリアは野生動物の宝庫で、それも人に危害を加えない、かわいい動物ばかりである。だから、人々はとても動物好きで、身近にコアラやカンガルーがいっぱいいることを誇りに思っている。特に「コアラカントリー」と呼ばれるこの辺りに住む人は、全員動物好きと言っても過言ではない。アランさんの家に滞在中、多くの家に訪問したが、必ず聞かれることは

「コアラ見た?」

だった。だから、僕のような外国から来た客人に対する一番のもてなしは、『コアラを見に行くことである。』

アランさんと家の庭(といっても山あり谷あり川あり広大)にコアラを見に行く。すぐにコアラを発見。木の枝につかまってこちらを見て、じっとしている。次に、地面にちょこんと座っているコアラを見つけた。コアラは慌てて木に登ろうとするが、動きが鈍い鈍い。地上1mぐらいまで登った所でストップ。僕と顔を見合わせた。

「ハイ、チーズ」

いい写真が撮れた。しばらくモデルになってもらったが、コアラも垂直の木につかまっているのには疲れるようである。手が震えだし、

「もうあかん。かんべんしてくれ。もうここにはおれん!」

という感じで、急いで木に登り、枝の分かれ目の体を支えるものがある所に

「よっこらしょ」

と腰を下ろした。こんな感じのコアラだから人々に愛されるのは良く分かる。この日は、3匹のコアラを見た。

アランさんはサンタクロースである。毎年、年末年始サンタクロースとして小学校を廻るので、小学校には馴染みがある。今はまだ11月中旬で、クリスマスにはまだちょっと早いが、近くの小学校(Lethbridge Primary School)に話を付けてくれて、「小学校にソーラーバイシクルを見せに行く」というプレゼントをくれた。アランさんと車で小学校近くまで行く。

Johnという先生が、彼と知り合いらしく、

「Johnにまず会えばいい。日本人の先生もいるし、君はソーラーバイシクルの説明を子供たちにする。子どものうちの1人が、私のことを本物のサンタクロースと思っているので、私は行かない方がいい。車で行くよりもソーラーバイシクルに乗って小学校に入った方がいいだろうから、ここで降ろそう。小学校はこの道を真っ直ぐ行って、左側にある。」

行ってみると、まだ授業中で、たまたま開いていた教室の後ろのドアから入り、授業を聞いていた子どもに、そーっとささやいた。

「John先生はどこですか?」

John先生に会うと、いかにも熱血先生らしい彼は、

「OK!!!」

と、他の教室に走っていき、すぐに子供たちと先生をグラウンドに集めた。

僕も初めての経験なので、どうしてよいものか困っていたが、John先生が僕のことを説明してくれて、

「それでは質問ありますか?」

と子供たちに聞いた。

「速さは?」

「どのぐらいの距離を走りましたか?」

「バッテリーはどのくらい持ちますか?」

John先生自身からは

「私もそういう自転車が欲しい。オーストラリアで買えますか?」

日本人の女性の先生に通訳してもらいながら、さまざまな質問に答えた。一通り質問が終わり、

「ソーラーバイシクルで走ってもらえますか?」

時々、バッテリーの半田付け部分が取れていたりするので、少々の不安はあったが、全くペダルをこがず、全く音も出さず、まるで生き物のように静かにそっと動き出した。すぐにスピードアップし、時速20km程度で、子供たちの周りをぐるぐる走ってやった。子供たちの歓声に包まれ、ちょっとヒーロー気分になり、

「ソーラーバイシクルの旅に出てよかった」

と思った。

1日休息し、別の小学校(Merdith Primary School)へ行くことになった。アランさんもついて来てくれ、ちょうど昼休みに、校長が子供たちをグラウンドに集めた。今度は日本人の通訳してくれる人はいない。前回と同じように、校長が僕の説明をし、子供たちに質問がないか聞いた。

時々質問が聞き取れないときは、アランさんが普通の英語→僕が理解できる英語に通訳してくれ、答える。

バッテリーケースを開けて見せてやると、子供たちは「ワオーッ」と驚いた。ただ24本のサイクロンバッテリーを太いむき出しの銅線でつないでいるだけなのだが、光り輝く銅線が複雑に入り組んでいて、子供たちにとってはとてもすごいものに見えたようだ。前回と同じように、時速20kmでぐるぐる回る。

そして、最近発見した、効果的なアピール方法をやってみる。まず、バッテリーを切り離し、前輪を持ち上げ、太陽電池出力のみでモーターを回す。太陽電池上に影を作ってもらうと、その影の大きさに対応して、モーターの回転が遅くなったり、止まったりする。影を無くすとまた高速回転を始める。

太陽の光で車輪が回っているということを、視覚、聴覚で感じることができ、効果的である。

見せ物が終わっても、何人かの子供たちはソーラーバイシクルに寄って来た。この効果的なアピール方法をやると、子供たちは、影を作る自分の手の動きに機敏に反応するモーター回転の音を、本当に楽しそうに聞いていた。僕がある子どもの質問を受けているすきに、こっそりと影を作り、モーターの回転を止めてしまったりと、何かいたずらをしているような感覚で楽しんでいる。

少年たちは、モーターのHONDAマークを見て、 「HONDA!!」と言い、質問好きの少女たちは、とにかくなんでも聞いた。ペットボトルに入れていた米や、ペダルのトゥストラップ、キャリアバッグの中身まで質問された。対して、大人たち(先生)はあまり興味なさそうだった。

子どもの時の好奇心はとても素晴らしいと思う。この好奇心がさまざまなものを生み出し、新しい世界を作っていくのだろう。みんな輝く太陽の少年少女である。

数日後、また別の小学校に行った。これはもう、僕の仕事のようなものである。

夢のソーラーパワーハウス。

近くにソーラーパワーハウスに住んでいる人がいるというので、行ってみた。COLIN SMITHYMAN

かなり驚くべき人である。家の庭の木を見るとコアラが、屋根を見ると、太陽電池がついてるついてる。わずかに200Wぐらいだが、それだけで楽しくなってしまう。バッテリー室を見せてもらう。700Ah僕のソーラーバイシクルと比べると膨大な量である。バックアップ用のガソリン発電機もある。コリンさんは発電機始動を実演した。手動スタートである。かなり古いタイプの発電機で、重たいハンドルを力いっぱいぐるぐる回して何とかスタートさせる。

「なんだか僕とそっくりである。」

僕も雨や曇りの日は、バッテリーを押さえて押さえて使い、なくなったらモーターとバッテリー分、重量が増えた自転車をこがなければならない。コリンさんも雨の日が続くと同じような苦労がある。

しかし、たったこれだけの太陽電池で、家中の電気がまかなえるのだろうか。その疑問はすぐに解けた。家の中の工作室には手動式の工作機械がたくさんあった。足踏み式グラインダー、ハンドドリル(手で回すのだが、重たい円盤が回転を持続させ、自動的に少しづつドリルが下がっていくようにもでき、バイスもしっかりしていて、正確な穴が開けられる。)もちろんろくろも手動である。

キッチンはガスと薪の併用、暖房は薪である。

回転などの機械的運動には人力、明かりやコンピュータ、ラジオなどの電気が最も優れているものには太陽電池、暖めるのには薪と、適材適所にうまく使っている。

そして、家には電線がつながっておらず、電気は全て自己発電である。水やトイレも外部とはつながっていない。Independent (独立)ハウスなのだ。

この時、Alan Marshalさん(サンタクロースの人ではない)という、もう一人のインディペンデントハウスに住む人が遊びに来ていた。彼は若い頃50ccのオートバイでヨーロッパを旅したといい、ガソリンの消費量などを教えてくれた。後日、このアランさんの家に行くことになるのだが、僕はさらに驚かされることになる。

コリンさんの職業はウッドカーバー(木彫家)である。オーストラリアのスーパーマーケットや空港などの、人が集まる所にはたいてい犬の形をした募金箱がおいてあるのだが、これは、コリンさんが木を彫ってモデルを作り、そのモデルから型をとって製造しているものである。

数日後、コリンさんに乗馬を教えてもらうことになった。彼は2頭の馬を飼っていて、1頭は白馬、もう1頭の茶色の方はおとなしく、初心者でも安全だそうだ。

乗馬のための器具を馬に取り付け、左足をかけて飛び乗る。簡単に乗れた。たづなを持ち、コリンさんの指示通り、馬の横っ腹を足でたたくと馬は歩き出した。たづなを引くと馬は停止、たづなの右側を引くと馬は右へ、左側を引くと左へ。素直に僕の言うことを聞くので感心した。

コリンさんも白馬に乗り、彼の所有する馬場まで林の中を歩いていく。かなり急な斜面もあり、大丈夫かなあと心配したが、すんなりと馬場まで乗っていけた。まさに1HP(馬力)力強い。僕のソーラーバイシクルのモーターは1/4HP。

馬場を越えて、林の中へ。ホーストレッキングである。ここで1つ、ホーストレッキングの特徴が分かった。視点の高さである。このような林の中では歩いていても、周りが木でさえぎられ、あまり見渡せないものだが、視点が高くなったため、かなり広範囲が見渡せる。そう快である。

この林は、コリンさんが所有している土地で、彼はこの土地を野生生物保護のために買った。

「ここにいる動物は安全に生きられる」

と彼は言ったが、彼もまた、毎日車に引かれて死んでいる動物を山ほど見て、せめて少しでも野生動物を守りたいと思ったに違いない。『オーストラリアに来た人がはじめて見る動物は死んでいる。』といっても過言ではない。僕がオーストラリアに来てからこの日まで、動物の死体を見なかった日はないぐらいだ。道路には無数の死体が転がっている。カンガルーが特に多い。

また、この土地は、この辺りがゴールドラッシュで栄えた時のもので、金を掘り出すために掘った穴がたくさんあった。

「僕は日本の川で砂金を見つけたことがあるんだ。」

「私の家の前の川でも砂金が取れるぞ。砂金取りをしよう」

スコップと砂金を取るための皿状のプラスチック製の道具を持って、家のすぐ前の川へ行った。

しかし、なにげなくアランさんの家には金鉱を探すための金属探知器があるし、コリンさんの家には砂金探し用の皿がある。

「ここらの人はいったい・・・」

と思った。

北海道の時のやり方を思い出して、すぐに小さな砂金を見つける。コリンさんはさすがに慣れていて、次々に砂金を見つけていった。しばらくして、コリンさんのガールフレンドがやって来た。手にはしっかり砂金探し用の皿が!!

「いったいここらの人は・・・」

とつくづく思った。

コリンさんは乗馬以外にもサーフィンやトレッキング、フリークライミングをする。オーストラリア北部、ダーウィンの近くにKAKADUという所があり、ここをトレッキングした時の写真を見せてもらい、話を聞いた。

全く道のないKAKADU大地の上、ジャングルの奥深く、岩壁を登り、滝を越え、川を泳いで渡り、アボリジニーが昔描いた古い壁画を発見した。おそらく考古学価値はかなりあると思われる。ほとんどインディージョーンズの世界である。このような生き方にあこがれずにはいられない。

数日後、こんどはALAN MARSHALLさんの家に遊びに行った。夢のソーラーパワーハウス。

彼の家は、山の斜面に浮かんでいるような感じで建てられていて、3つの部分に分けられる。

・上部・・・太陽電池、太陽熱温水器が取り付けられ、 そして、雨水を集めることができる構造となっている。

・中間部・・居住部。高い位置にあるので見晴らしが良く、気持ちがいい。

・下部・・・雨水をためるタンク、バッテリー室、トイレ処理室など。

ほぼ完璧に独立していて、外部からのエネルギー供給は、ガスボンベが夏場3ヶ月に1本、冬場2ヶ月に1本だけである。

特徴的な所を少し説明する。

薪ストーブ・・・アランさんが自らデザインしたもの。AIR(空気)の温度差による対流を巧みに生かしたデザインで、AIRが燃焼状態を見るためのガラスを自動的に掃除してくれ、いつもガラスはぴかぴかである。

電気エネルギー・・・わずかな太陽電池ですべてをまかなっている。バックアップ用の発電機(HONDA製)はスイッチ一つで始動する。バッテリーは高性能な鉛バッテリーで、液の密度から正確に残量を測っている。

排水・・・自然環境を考慮し、ろ過器を何回か通したものを畑にまいている。

トイレ・・・こういう物を処理するのには、汚くなってもしょうがないと思っていたが、アランさんのトイレは完璧である。まず、居住部にあるトイレから下部の処理室に管がつながっている。排出された大小便は管を通り、処理室のプラスチック製4分割バケツに入る。何だそれだけかと思ってはいけない。処理室には、太陽の光を通す窓と、その内部に貼ってある光を良く吸収する黒いシートがあり、太陽の光が入ると内部温度が上昇し、AIRの上昇気流が発生する。この温かい上昇気流が大便を乾燥させ、そして、いやなにおいも屋根から外部へ放出させる。4分割バケツは回転し、一つの分割室には9ヶ月分の大便が入る。すなわち、取り出さなくてはならなくなる時にはすでに3年もの月日が経っているので、全く匂いはなく、完璧に乾燥していて、良い肥料になる。

飲料水・・・屋根から雨水を集める。元々この辺りはそんなに雨の降らない所であるから、雨の日にできるだけ多くの水を貯える必要がある。そのため、直径3mもある円筒状の水タンクが3つもある。

このALAN'Sインディペンデントハウスの特徴は一言で言うと「AIR」である。今まで太陽エネルギーというと太陽電池と太陽熱温水器ぐらいしか思い浮かばなかったが、太陽熱でAIRを暖めることによってHOT AIRが生み出され、さまざまな応用ができる。僕にとっては大発見だった。特にこのトイレは素晴らしい。少しの太陽の光を受ける面積があれば、それだけで下水の全く出ないトイレができる。

それと、この家から感じることは自然との一体感である。山の斜面にぽつんと浮かんでいるから余計にそう感じるのかもしれないが、水は雨から、電気は太陽から、薪は林から取り入れ、排出するものは少しの肥料と浄化された水だけという、まるで生きている木のような家で、この山の自然の一部のように感じるのだ。

昼間貯えた、太陽の光と木のぬくもりに包まれて、窓からたくさんの星が見える夜、アランさんはピアノを弾いてくれた。

「人間は、現在の快適で便利で創造的な暮らしを捨てなくても、自然と共存できる。」

そう確信した。

「陽出づる国」・・・日本を意味する言葉である。

「Bendigo Advertiser」に続き、コアラカントリー近くの「Geelong Advertiser」という新聞社の取材を受けたが、僕の記事の見出しは、

「Powered by the Rising Sun」

「The Bicycle of the Rising Sun」

とどちらの新聞とも「Rising Sun」すなわち「日出づる国」を見出しに入れていた。「日本と太陽」に関する言葉として、世界的に知られているのはやはり

「日出づる国日本」であろう。

「Geelongにソーラーパワーの店がある。」とアランさんがいうので、ついでに行ってみた。小さな店で、さまざまな環境問題に関する本などが置いてある。店番をしている女の子はボランティアでこの仕事をしている。この店自体ボランティアで運営されているのだ。だから物を売るというよりは情報提供の場である。ここで探していた雑誌を見つけた。

「ReNew」・・・ATA(Alternative Technology Association)が発行している、太陽電池や風力発電などの環境に優しいテクノロジーに関する雑誌である。その最新号を見ると、ようやく見つけたWSC’96に関する記事である。天然電力登場!!

「・・・今大会は過酷な気象条件で、気温40℃路面温度60℃・・・。ある日大会のオフィシャルが路肩に停車している天然電力チームを見つけた。オフィシャルはチームメンバーのメディカルチェックをした。全員問題はなかった。彼らはレースを中断し、2人の一般の旅行者をサポートしていたのだ。この2人の車(ガソリン車)は壊れてしまい、動かなくなってしまっていた。・・・続く・・・」

また、前の号には電動自転車の記事があり、今僕が乗っている自転車でオーストラリアの公道を走ることは合法である事が分かった。これで堂々とツーリングできる。今まで少しの不安があった。ペダルをこがなくても進め、スピードリミッターが付いていないので、日本国内では違法となってしまうからだ。モーター出力200WまではOK。僕のモーターは150Wである。

このReNewマガジンは特殊な専門雑誌ではなく、どこの本屋でも置いてある一般雑誌である。オーストラリアではこういうエコ・テクノロジーの応用が進んでいる。特にソーラーパワー利用の実用化がかなり進んでいる。ATA本部、コアラカントリーのあるビクトリア州のメジャーな新聞「The AGE」の天気予報には「今日の太陽予報」という欄があり、「今日の太陽エネルギー予想・・・10.4MJ/〓,太陽熱温水器予報・・・80%」など、太陽電池の発電量と太陽熱温水器の温まり具合の具体的な数字が載っているのだ。

応用だけでなく太陽エネルギー利用技術も進んでいる。現在(1996年)世界最高の変換効率(24%)を持つシリコン太陽電池はオーストラリアで作られている。UNSW(ニューサウスウェールズ大学)が開発したこの太陽電池を搭載したHONDA DREAM号は、今回のWSC'96(WSCC’96と同じコースで行われるソーラーカーレース)で、オーストラリア縦断3010kmを平均速度89・7km/hで走り抜いた。ちょっと太陽が照ると、太陽電池出力だけで100km/hのスピードが出るという。

なぜオーストラリアでこれほどソーラーパワー利用が進んでいるのか?その理由の一つは「日射量の多さ」である。オーストラリアの国土の大部分は乾燥した平原であり、また皮膚がん発生率が高いことでも知られている。それほど強烈な太陽光線が降り注いでいるという事である。もう一つは国土が広くて人口が少なく、人々は分散して住んでいるから、一ヶ所で発電して長い送電線を伸ばすよりは、その家々で自己発電した方が安上がりになるという事である。

太陽電池はまだまだ高価なものだが、オーストラリアの人々はもともと電気をあまり使わないナチュラルな暮らしをしているから、少しの太陽電池で電力をまかなうことができ、太陽電池システム設置にばく大な費用がかかるということはない。日本では300万円(バッテリーなし)という、その費用が普及の大きな壁になっているが、オーストラリアでの標準的なシステム(バッテリーあり)は日本の1/5以下だろう。

オーストラリアは太陽エネルギー先進国である。

大変世話になったアランさんの家を出発。いよいよタスマニアである。アデレードからメルボルンまで、自転車のフロントチェーンリングは61Tのみで走ったが、山が多いタスマニアでは苦しくなると思われるので、奮発して自転車屋で、61T→24、36、48の三段にし、モーター駆動部分の前輪ハブのコグも14T→21Tに変えた。

ポートメルボルンからフェリーでタスマニア島へ。

強い風を受けて、海を切り裂くように走るウインドサーファーがフェリーすれすれを豪快に走っていった。


All right reserved Butterfly kayaks ご意見ご感想はまで。