ソーラーパワーシーカヤック完成

ヒッチハイクでKenの家へ戻った。

「マサヒロ!生きていたか!」

「ああ、まだ生きているぞ!」

Kenは数日前に手術をしていて、ベッドで療養中だった。

いつも行動的なKenがベッドで横になっているのを見ると、

「ああ。僕がKenに心配させるような事ばかりして、寿命を縮めているのかもしれない」

と思うのだった。

「こんどはKAKADUでカヌーを漕ごうと思っている。」

「マサヒロ・・・。KAKADUは巨大ワニがうじゃうじゃいるぞ・・・。」

これでまた、Kenの寿命が2、3年縮まったかも知れない。

僕が「KAKADUでカヌーを漕ぐ」とまた危険なことを言い出したので、Kenの依頼を受けたDavid(シーカヤッカー)がある日、訪問してきた。

David「おう、マサヒロ。Gordon Riverはよかったか?今度はDarwinに行くと聞いたが、それならAdelaideを通るだろう。Adelaideの近くには、Coorongといういい所があるぞ。それとDarwinの近くにはKatherine Gorgeという所もある。KAKADUは危ないぞ。でかいクロコダイルがいっぱいいるぞ。」

KEN「クロコダイルの大きいものは大きさが7mもあるんだぞ7m!!!」

「7mと言えばだ、この部屋の端から端までよりもまだ大きいぞ。君はJapaneseSASHIMI!!になるぞ。」

まずは、Kenのワークショップでカヌーのフレームの修理をした。

「マサヒロ、セイルはどうだった?」

「んーっ、時々使って、いい風の時は役に立ったが、不安定で、そして強風で曲がってしまった。まあ、10%ぐらいの使用率かなあ。」

「マストはもっと太い方がいいか?」

「うん、それと強風が吹いた時にすぐにセイルを降ろせないと危ない。一度危うく転覆するとこだった。マストが曲がったおかげで転覆せずにすんだんだ。」

「それじゃあ、今のマストの太さでいいか?曲がった方がいいか?」

「いや、マストを太くして壊れないようにして、セイルをすぐに降ろせるように改良すればいい。マストの先端からセイルを引っ張り上げるようにすればいいと思う。」

次に、カヌー、その他、全ての荷物を、一度に持って移動できるように、キャリアーを作る。材料は全てKenのワークショップにあるもので済ませた。

まずは軽そうなパインの木の幅広材を好みの太さに製材し、だいたいの寸法で切断し、穴をあけ、カヌーの中に積み込めるようにすべてボルト止めで組み立てる。最後に、地面に当たる所にはアルミアングルで補強し、ニスを塗り、ほぼ1日で完成した。

とにかく重いものを乗せて試してみようと、Kenの家の中を探す。冷蔵庫、テレビ、その他いろいろあるが積むのが大変だ。いいものを見つけた!!

「ジャイ、何か重いものはないかなあ?」

「えっ、重いもの」

近くにいたジャイ(タイの女の子)を乗せてみる。まあだいたい50kgぐらいだろう。ちょっとフレームがきしむが問題無い。

「よし、いっそのことソーラー駆動プロペラも作ってしまおう。こんなに恵まれた環境はもうないだろう。ここで作れないと、この旅の間に作るのは無理かもしれない。」

まず、Kenに相談する。

「もう1週間いてもいいか?ソーラーパワープロペラを作りたいんだ。」

「もちろんいい。しかし、わしはパドリングとセイリングがベストだと思うがなあ。モーターとバッテリーは重すぎるだろう。」

「パドル&セイルはもうすでに多くの人がやっているだろう。僕にとってはあまり面白くないんだ。僕は新しい事をやってみたいんだ。」

「よし、分かった。おそらくワークショップのどこかに24VのDCモーターがあるから探してみよう。」

Kenがヨットの自動舵取り装置の24VのDCモータを探してきてくれた。ラベルを見ると、回転数2400RPM、出力1/8HP,エネルギー変換効率50%ぐらいで、軽量(3kg)だが、効率がとても悪い。ベルトドライブでちょっと作ってみたがあまり良さそうにない。それに、モーターコントローラーがなく、スピード制御が難しいので、結局ソーラーバイシクルのHONDAモーターを使うことにした。

まずは、モーター軸とプロペラシャフトをどうつなぐかだ。Kenのアイデアで、直径20mm(モーター軸と同じ)のプロペラシャフトを使い、内径20mmの丈夫なホースでつなぐことにした。簡単なフレキシブルジョイントである。そして、カヌー後部を斜めにカットし、プロペラシャフトを斜めに水中に入れることにした。

Kenが昔働いていた海軍に、あまっているプロペラがないか聞いてくれ、ちょうど内径20mm、プロペラ直径200mm×ピッチ170mmの物をもらってきてくれた。

Kenの計算

「モーターの回転数はいくらだ?」

「定格200rpm、無負荷時で290rpmだ」

「プロペラのピッチは170mmだから」

0・17m/r×200r/min=34m/min

=2・04km/h

「だめだこりゃ。この回転数じゃすべりがないとしても定格時時速2kmしかでないぞ。300rpmとしてもせいぜい時速3kmだ。」

僕は、プロペラのことを何も知らなかったので、こんな単純な計算でスピードが予測できるのか疑問だった。

「マサヒロ、君のモーターは減速ギア内臓だろう。何とか取り除いて回転数を上げることは出来ないか?」

「たぶん出来ると思う。だけど、1度取り除いたら元通りに戻せなくなるかもしれないから、今の回転数で一度テストしてみたい。」

Kenの小型ディンギーで試してみる。

Kenの言ったとおり、せいぜい時速2kmだった。

ここで、プロペラがどういうふうにして進むのか理解できた。プロペラは水を後ろに押し出して進むのではなく、木にネジをねじこむように、水にくい込んで進んでいくのだ。だから、ピッチと回転数から計算したスピードより速くは絶対進まない。

モーターを分解して、ギアを取り除いて回転数を上げれるかどうか見てみる。ギアは簡単に取り除ける。そして、同じ軸上にベアリングでお互いにフリーにはなっているが、モーター回転軸と出力軸がある。この2つの軸をつなげることが出来れば、回転数は定格800rpmとなる。始めは軸に穴をあけてつなぐことを考えたが、超硬軸なので、ドリルもやすりも全く刃が立たない。そこで、それぞれの軸についているギアの直径の穴をあけたアルミ板2枚でつなぐことにした。

モーターを分解してみて、つくづくHONDAはすごいなあと思った。それは芸術品のように美しかった。Kenも驚いていた。黒灰色に光り輝くギアと、丸みを帯びたデザイン、複雑な電子回路は、なんとなくKenの家で見た映画「ターミネーター2」を思い出すのだった。

かなり最適化され作られたモーターなので、隙間が小さく、慎重にサイズを測り、まる1日がかりで軸と軸をつなぎ、モーターを組み立てた。

これによって、回転数が上がっただけでなく、ギアを取り除いたので、軽量化、そしてエネルギー変換効率は90%~95%になったと思う。

カヌーの後部をカットし、プロペラシャフトを支える部品を作り、Kenのワークショップをちょっと探して、内径20mmのベアリングも見つけた。プロペラを使わない時や、浅場の時、プロペラを上に上げないといけないのだが、ホースでモーター軸とプロペラシャフトをつないだため、簡単に上げれる。これは、コックピットでひもを引っ張れば上げれるようにした。

いよいよ試運転の日である。

Kenの車のルーフキャリアにカヌーを乗せ、Kettering港へ。ソーラーパネルからではなくバッテリーから出力し、まずは僕が1人だけ乗って動かしてみる。時速5kmぐらいだった。

「マサヒロー、プロペラが完全に水中に入ってないぞ。後ろのハッチに乗ってみたらどうだ。」

後部荷物入れに乗り、再び動かしてみる。

「やったー!!!」

カヌーは時速10kmぐらいの速さで進んだ。

最後にKenがコックピット、僕が後部荷物入れに乗り、強い向かい風の中、時速10kmぐらいのスピードで進んだ。

「これはすごい。完全に人力を超えている。」

「マサヒロ、いい感じだな。」

「ウッウオー!!!速いぞーっ!!!」

このソーラーパワーカヌーに乗って、これから旅をすると想像するだけで、心ときめかせずにはいられなかった。

    太陽の光の国SUNRAYSIA

            と風のCOORONG

SUNRAYSIA。オーストラリア内陸部、MurrayRiver流域の地名である。sunは太陽、Rayは光線、siaは地域を意味する。日本語に訳すと、「太陽の光の国」

ソーラーカヌーをつんだ木製キャリアーを押しながら、僕は太陽の光の国へ歩いて行った。

Murray River川岸にキャンプを張り、Echucaの町へ買い出しに行く。カヌーのフレームの塗装が剥げて、水を吸いやすくなっていたので、ニス、ハケ、紙やすりを買う。そして、Murray River Chartという地図を探しに、アウトドアショップをまわったが、置いてなかった。

次の日、フレームの塗装をし、Information Centerに地図がないか聞きに行った。

「Murray River Chartありますか?」

「あなた、ソーラーカヌーでMurray Riverを下る日本人でしょう。」

「ええっ!?、どうして知ってるんだ!!??」

「News Paperがあなたのことを探しているわよ」

Murray River Chartは町のNewSagency(雑誌屋)に置いてあるということだった。

少し、話をしていると、背の高い、いかにも新聞記者と言った感じのしゃきしゃきした女性記者が来た。

「あなたのことを取材したい。ソーラーカヌーはどこですか?」

「カヌーは川岸に置いてあるけど、今バラバラで、ニスを塗ったばかりです。これから地図を買いにNewSagencyに行きたいのですが。」

「それじゃあ一諸に行きましょう。」

途中、RiverlandHerald(新聞社)の前を通り、入る。何だかんだ話しているうちに、地図は下流にあるTorrumbryにもっといい地図が置いてあるから、そこで手に入れた方がよいということになり、カヌーを置いた川岸へ、女性記者と男性記者とともに向かう。しかし、Murray River Chartという本がある事は分かっているし、一度見たこともあるし、それが欲しいのだが・・・。

川岸で、バラバラのフレームを見て、少しがっかりしたような2人だった。ソーラーカヌーというぐらいだから、スポンサーワッペンがバシバシついた、ケブラーコンポジットワークスカヌーのようなものを想像していたのかもしれない。

男性記者が女性記者にいう。

「写真撮りたいですか?」

「いやどうしましょう」

と言いつつも、バラバラのフレームにテント、太陽電池などがあまり意味もなくあり、その中央に僕がパドルを持ってニヤけているという写真を数枚撮る。

「Information Centerの建物が入らないように!」

ここはキャンプ禁止地なので、テントと建物が一緒に写るとまずいのである。

僕に対していろいろと質問する。

「オーストラリアの感想は?」

「いい国だ!」

「Murray Riverをどう思いますか?」

「大きな川だ!!」

「どうして一体型のカヌーにしなかったのですか?」

「運べへんやん!!!」

僕の貧弱な英語力に、2人の記者の考えは結論に達した。

「だめだこりゃ。取材するのが難しい。」

「そうだっ!Allan Knight(サンタクロースの人)さんなら良く知っているだろうから、彼に電話しましょう。」

「そうしよう。そうしよう」

「Allan Knightさんの電話番号知ってますか?」

「イエス」

2人は、Allanさんに僕のことを聞くことにした。彼らが新聞社に戻る時、僕が

「やっぱり地図が欲しいから町へ行く」

と言うと、女性記者は言った。

「ダメダメ、Torrumburyで手に入れた方が絶対いいわよ。あそこには大きな地図があって、一目で分かるんだから。」

2人が戻ってしばらくしてから、地図を手に入れるため、町へ向かった。途中、新聞社の近くで女性記者にばったり会ったが、

「いや、ちょっと食料を買いに・・・」

とごまかして、ようやくNewSagencyでMurray River Chart$15を手に入れた。

カヌーを組み立てていると、おじさんが話しかけてきた。

「家を建てているのかと思ったが、カヌーだったか。」

「あれはわしの船じゃ」

と近くに停泊していた船を指差した。真四角の家の下に、浮きとエンジンを付けたような船だ。

「まるで水上ハウスみたいですね。」

「そうじゃ。わしはあの船で生活しているんじゃ」

「どこまでいくんじゃ?」

「河口まで、この川に危険な所はありますか?」

「ここから河口までは波も瀬もなく安全じゃ。まあ海に近づいたら波が高くなるが。わしは2年前は河口近くに住んでいたんじゃ。わしにとっては、このMurray River全体が家のようなもんじゃ」

Murray Riverはオーストラリア大平原の中をゆったり流れる川で、高低差がほとんどなく、流れもほとんどないので、こんな真四角の家が川を行き来できるのだ。

カヌーを組み立て、荷物を積み込み、出発準備が整った。ソーラーカヌー初試乗、Murray River下りの出発点だから、自分とソーラーカヌーが写っている写真が欲しくなり、セルフタイマーをセットして、カヌーの所に急いで走って行ったら、岸の泥ですべってこけた。いまどき志村けんの古典ギャグでもやっていないだろう。

気を取り直し、数枚取り、VB(ビクトリアンビター)で出発を祝った。

「さあ出発だ。河口まで1700km。太陽の光の国へ。」

プロペラを水中に降ろし、アクセルを引くと、ソーラーカヌーは動き出した。バッテリースイッチを切って、太陽の光を直接モーターに送り込むようにしても、時速5km(冬のMurray Riverは水量が少なく、ほとんど流れていない)をキープして、ソーラーカヌーは進み続けた。

時速5kmの太陽の風。

川に仕掛けていた網を上げていたおじさんは言った。

「すごい!完璧じゃないか!どこまでも永遠に進める。」

「もちろん!もっとスピードも出るよ」

バッテリースイッチON!アクセルFULL!

周りの景色がかなりのスピードで流れていく。時速10km以上は出ているようだ。この巨大なカヌーで、パドリングではこのスピードは絶対に出ない。

バッテリースイッチを切り、再び太陽まかせ時速5kmで下る。時速5kmというのは僕のパドリングと同じスピードだ。電圧計、電流計を見ると、電圧30V、電流1・2Aで、出力はわずか36Wだった。

「たった36Wで、時速5kmも出るのか。ということは僕の腕の力は・・・」

「Human Powered Vehicles」という本によると、パドルのエネルギー効率は約70%、プロペラは約90%である。

36W×90%=xW×70%=時速5kmでの抵抗

x=45W

「たった45Wか!?人間の手の力は小さいなあ。」

ちなみに、足では軽く100W以上出せるのだ。今回のソーラーバイシクルの旅で、自転車後部に付けたわずか40Wのソーラーパネルは、あくまでも人力の補助という感じだった。しかし、このソーラーカヌーでは、人力よりも小さなソーラーパネルの方がよほど頼もしい。しかも、現在真冬なのだ。いくらSUNRAYSIAとはいっても、ずいぶん光は弱くなっている。

「もしも、この倍の太陽電池を付けて(スペースは十分ある)、強い日光を受けたなら・・・・時速10kmで巡航も可能だ。」

毎日、時速5kmの太陽の風に乗って、流れも瀬も全くないダム湖のような川を毎日40kmぐらい進んだ。何の変化もなく、はっきり言って退屈だったが、それをなぐさめてくれたのは、日の出日の入りの美しさ、そして鳥の多さである。

この辺りは大平原のど真ん中で、山一つない。だから、川から眺めるRed Gum Treeの林の奥には、空が見える。そこから太陽が昇ったり、降りたりするので、毎日、キラキラと木々の間を太陽が揺らめき、本当にきれいだ。この辺りの別名は、「Sunset Country」である。

両手は日中フリーなので、双眼鏡を出して、バードウォッチングをした。この川に流域は野鳥の宝庫なのだが、特に面白いやつは、「Cockatoo」である。

まず、見かけがボテッとしていて、どんくさそうで、色は真っ白で、頭の上に黄色いつかさがある。時々このつかさを立てたりする。だいたい鳥というものは、「ホーホケキョ」とか、「焼酎一杯グイーッ」とか美しい鳴き声で鳴くものである。カラスでさえ「アホーッ」なのに、このCockatooは「ギャーッ!!」と鳴く。そして、集団でバタバタとうるさいし、どこかで銃声がしようものなら、「ギャーッ!!ギャーッ!!(バタバタ)ギャーッ!!ギャーッ!!(バタバタ)」と大騒ぎである。全く困ったものだ。しかし、この鳥のおかげでかなり楽しめた。

一週間ぐらいでBarhamという町に到着。

「Murray Cod(Murray River最大の魚)にはこれが一番」といわれている、Baldy Grubを買いに釣り具屋に入ったのだが、何と1匹$1・50もする。Baldy Grubとは巨大なガの幼虫を冷凍したもので(体長10cm)、確かに良さそうである。しかし、$1・50というのは、今の僕の1日の生活日並みである。

「たのむでBaldy!!」

ボテッとしたBaldyを川に投げ込む。一晩ほって、次の朝、竿を見ると倒れている。リールを巻き上げるとググッときた。デカイ。しかし、デカすぎて糸が切れてしまった。色から見て、European Carp(コイ)のようだ。

数日後、岸の釣り人に声をかける。

「釣れましたか?」

「コイがちょっとだけ」

コイは殺して、水辺に捨ててあった。

「コイ食べないんですか?」

「オエーッ、YAK!コイはゴミだ。コイは外来種で、この辺りの人は食べないんですよ。よかったらあげますよ。」

コイをもらい、Boundary Bendという小さな町まで進む。コイをさばき、味噌汁に入れて食べたが、まずい。何というまずさだ。コイは2匹転がっていて、1匹は2時間前、もう1匹は2日前のものらしいが、間違えて2日前のものをくれたんじゃないか(選ぶ時にちょっと迷っていた)。

その後3日間、食事の時、あのコイを思い出して食事はまずかった。

Boundary Bendの岸近くを進んでいると、岸にあった、

車から1人の女性が出てきた。

「ちょっとちょっとあなた。変わったKayakじゃない。オレンジいらない?」

彼女はBoundary Bendのオレンジファームで働いていた。

Murray River下りを始めてから、1日の生活費が$2以下という超激貧生活を送っていた僕は、これからの旅の資金をどうするか困っていたところだった。彼女の車に乗り、ファームへ行く。

オレンジの木に登り、毎日朝から晩までSUNRAYSIAの太陽をそのまま果実にしたようなオレンジをピッキングした。

Murray River流域はオーストラリア最大のフルーツの産地である。1年間の日射時間が、4000時間もあるというSUNRAYSIAの太陽の光と、Murray Riverの豊富な水が、この大規模なフルーツ栽培を可能にしているのだ。

「ここで旅の資金を稼げれば、旅を続けられる。」

しかし、数日後、雨となり、ピッキングは出来ず、どろどろのキャンプ地に張ったテントの中で過ごす。雨の中、テントで横になっていると、すごい惨めな気持ちになってきた。

「僕はいったい何をやっているのだろう。今の僕の状況を考えると、浮浪者と何も違いはないのではないか。薄汚い格好をし、髪の毛、ひげは伸ばし放題。食料も最低のものを食べ、こんな所でピッキングをして稼いでいる。」

「僕の人生をかけた太陽の風に乗る旅。これまで僕がやってきたことに何か意味があったのだろうか。」

この旅の途中、何度か落ち込んだことがあったが、これは今までの中で最も暗く、もう僕の人生は終わってしまうのではないかと思うのだった。

食欲もなくなり、雨の中、ファームから4kmの道のりを歩いて帰った時、泥がべったりと靴の底に付いた重い足取りで、フラフラになりながら、何とかテントにもぐりこんだ。すごい空腹だが、食べるとはきそうになる。何とかシーチキンかんずめを食べ、横になって、植村直己「青春を山に賭けて」を涙を流しながら読んだ。

数日後、雨はおさまり、ピッキングに行くが、多くのオレンジに黒い班点が出来ていた。かまわずピッキングするが、ボスが、

「これは霜でやられている。霜でやられたオレンジは箱に入れてはいけない」

と言った。しかし、半分ぐらいのオレンジがやられてしまっていて、もう残り少なかった。オレンジピッキングのシーズンは終わってしまったのだ。

$150だけ稼ぎ、再びカヌーの旅へ戻った。

川を下っていくにつれ、出発した時の感動は消え、心のボルテージは下がっていく一方だった。

「この川の河口まで下り、KAKADUを歩いたら僕の旅は終わってしまうのだ。」

ソーラーバイシクルの旅に出発した旅の初め、夕暮れの川を眺めながらギターを弾いた川岸の横を通る。

「あの頃が懐かしいなあ。不安だったけど希望に燃えていた。この旅に終わりがあるなんて想像も出来なかった。」

これまでの旅のことを思い出す。

ソーラーカヌーの夢が実現し、僕の心を奮い立たせる次の目標を見つけられないほど疲れ果てた今、僕の心は過去を見ている老人のようになっていた。

オーストラリアに出発する前、働いていた木工屋の社長が、出発する僕に渡してくれた手紙の一文を思い出した。

「若くて夢のあることはどんなに素晴らしいことでしょう。」

今になって、この一文の意味が心に響いた。

Murray River河口に到着した。河口につながる全長150kmのCOORONGラグーンの最奥にある、SaltCreekが最終目的地だ。COORONGは風の国。いつも安定した風が吹いていた。セイルを使って進む。

SaltCreeまであと50km。最後の挑戦。

太陽の風に乗れば1日で行けるはずだ。

セイルとソーラーパワー半々で、快調に進む。まだ曇りぎみで、ソーラーパワーは大して発揮できない。そしてかなりCOORONGの奥に来たので、浅場が多くなり、プロペラが使えなくなった。風が強くなってきた。しかしマストが折れてしまった。

「これまでか。やはり1日では無理か。太陽の風に乗る旅はこんな形で終わるのか。」

セイルは面積は半分になったが、何とか使えるようにし、少しのセイリングで進む。浅場を越え、プロペラが使えるようになった。そして、太陽が照りはじめた。

上空は青空で、その周りをぐるりと真っ白な雲が囲み、その白い雲のさらに上には、まるで花火を上げたような放射状に広がった雲がはじけている。僕は神の存在を信じているわけではないが、この時ばかりは感謝した。それは、僕を祝福してくれているような景色だった。

ソーラーパワー、ウインドパワーをフルに使い、大波の中を進む。そして、SaltCreekらしき湾に入港。しかし、建物は遠くに一つしかなく、海からでは本当にSaltCreekかどうかは分からなかった。砂浜に乗り上げ、上陸。

ソーラーパワーを貯めたバッテリーはまだ半分も残っていた。少し歩くとCreekが目に入った。そしてその奥には小さな村が。

「やった。到着した。太陽の風に乗れた。やったぞー。」

このソーラーカヌーももう使うこともないと思うと、少しさみしい気持ちがした。しかし、ここまでよくもってくれた。HONDA DC Blushless Motorも本当によく働いてくれた。このモーターは過酷なオーストラリア縦断レース、石にぶつけたり、風雨にさらされ、最後は海水にも浸かったりしたけれど、1度もトラブルを起こさず、今でもアクセルを引くと、シュイーンと新品の時と変わらずスムーズに回る。

10ヶ月間のソーラーパワービークルによる旅はここで終了した、本当にいろいろなことがあった。この旅で、ソーラーパワーは心の支えでもあり、負担でもあった。ソーラーカヌーでようやくソーラーパワーを発揮することが出来たが、それまでは重くなった自転車を曇りの日にこいでいる時など、いったいソーラーパワーを付ける意味があるのだろうかと思ったこともあった。ソーラーカヌーでも確かに重い時もあったが、ソーラーパワーで旅をしていなければ、出会うことのなかった多くの人々、出来事、新しい発見に巡り合えたという点で、ソーラーパワービークルはこの時(1996年~1997年)最も優れた移動手段であったに違いないと思った。

4.新たな旅へ

  太陽に焼き尽くされた

  KAKADU National Park

オーストラリアを旅していて、KAKADUが凄いということは何度も聞いていた。そして、自然エネルギーハウスに住むColinさんの話で、今回の旅は決まった。そのColinさんの感想とは。

「私たちは、キャンプ地についたら、素っ裸になり、素っ裸で生活したんだ。寒くもないし、服は必要ないんだ。完全に自然なままの生活。私たちはアボリジニーになったんだ。KAKADUは雨季には大洪水になり、地表の全てのものは洗い流される。今のKAKADUは前のKAKADUではなく、次の年になれば、また全く新しいKAKADUに生まれ変わる。二度と同じ景色はないんだ。そして、歩くとすぐに景色が変わり、変化に富んでいるから全く飽きない。」

Colinさんは少し興奮した口調で、

「全く以前のものが残されていない大地を歩き!

完全に透明なプールで泳ぎ!

何も身につけないで生活する!」

「これは信じられないような感覚だね。

もう一度KAKADUへ行きたいなあ。」

Colinさんに見せてもらった写真には、豊富な水にあふれる渓谷、エメラルドグリーンの透明なプール、緑あふれる森林、Colinさんたちが初めて発見したアボリジニーのロックアートなどがあった。そして、写真に写っている人は、みんな完全に裸だった。女性も含めて、誰一人として、パンツすらはいていないのだ。

目指すは、Colinさんたちが、2週間歩いたというArnhemLand台地、JimJim Fallの上の台地だ!

オーストラリア北部のこの地方は、サバナ気候で、気温が高く、雨季、乾季の区別がはっきりしている。僕がKAKADUに入ったのは、乾季の終わりの10月で、少しは予想もしていたが、想像を絶する過酷な気象条件だった。

Kenの家で作った木製キャリアーに40リットルの水と、3週間分の食料を積み込み、灼熱のダート道を歩いていく。雨はここ数ヶ月、全然降っていないだろう。道の両側とも、木は枯れたようになっていて、葉はほとんど落ち、光を遮るものがない。灰色の大地は完璧に乾燥していて、所々煙が上がっている。強烈な太陽の光が照りつけ、KAKADUは太陽に焼き尽くされていた。

何というすさまじい太陽のエネルギーなんだ。タスマニアやMurray Riverにいた時は、ソーラーパワーで旅をしているということを抜きにしても、太陽とはありがたいもの、太陽が出ているだけで心が安らぐと言った存在であったが、ここKAKADUでは太陽は最大の敵なのだ。もし水がなくなったら、太陽に殺されるだろう。

太陽が高くなった10時ごろ、KAKADU大地を強烈な熱風が吹き始めた。今動けば、大量の水を消費してしまう。持っている水はわずか40リットル。ここから60km先にあるArnhemLand台地の大絶壁の下まで、一滴の水もないことは明らかだった。

わずかな影のある木の下に、キャリアごと突っ込み、体に水をかける。何という暑さだ。本も読めない、何かを考えることも出来ない。日中の1番熱い時は目を開けることすら辛かった。

進むにつれ、ダート道の砂が深くなってきた。このキャリアーの12インチタイヤは砂に埋まり、転がるというよりは、引きずっているという感じになった。かなり深い所では、後ろ向きになって、本当に引きずって進んだ。

フラフラになりながら、極深の砂を超えた所でキャンプ。

次の日、どうしたわけか、朝から異常にハエが多い。そして、めずらしく上空に少し雲がある。白い鳥が数十羽群れていた。

「ギャーッ!!ギャーッ!!(バタバタ!!)」

なぜこんな水も何もない所にCockatooが群れて、騒いでいるのか。何か気象の変化を感じさせる雰囲気が漂っていた。

その夜、上空がフラッシュし始めた。遠くで、音は聞こえないが、目指すArnhemLand台地の方で光っている。しばらくして、テントのフライシートにぽつぽつと、雨が当たりだした。雷は轟音とともに近づいてきて、激しい雨となった。何ヶ月ぶりかのまとまった雨だろう。

始め思い描いていたKAKADUの姿は、Colinさんの話や、本などから、

「豊富な水に溢れていて、生命力があり、水鳥とワニが群れる大湿原」

といったものだったが、これまでは、

「熱く乾燥して、生命が感じられない砂漠」

といった印象だった。

来る時期を失敗したと思いながら歩いていたが、この雨で、Colinさんが感じたKAKADUとは違う、また別のすごいKAKADUを感じることが出来るかも知れないと思った。

それはKAKADUが生まれ変わる瞬間である。

次の日、雨で砂が締まったダート道を進む。かなり進みやすくなり、そして涼しい。両側の木も、なぜか青々としているような感じとなり、まるで別世界のように見えた。そして、この時を待っていたかのように、白い放射状の花が咲いていた。

この別世界も真昼の強い日差しで、また乾燥したが、それでもKAKADUはこれから変わっていくのだと確信した。

途中からArnhemLand台地の大絶壁が見え始め、それを目標にして進む。大絶壁の近く、最後の峠を越えると、夢か幻か、流れる水を見た。カラカラのKAKADUだが、まだ流れている所があったのだ。すぐにキャリアを止め、水をすくって飲む。そして、この川のそばだけは生命にあふれていた。

水とは何と素晴らしいものだ。

数種の蝶、トンボが乱れ飛び、カエルが跳ねていた。わずかにチョロチョロ流れる小川だが、この存在でここはまさにパラダイスだった。

このわずかな流れる水と、その近くのわずかな空間をひしめき合うように飛び交っている生き物たちを見ていると、水と生命がどれほど深くつながっているかという事を思い知らされるのだった。

水があって生命があるのだ。

自分の周り数十キロ以内に、水が一滴もないというような恐怖感がなくなると、だいぶん心に余裕ができ、楽しみながら歩いて、JimJimFAllキャンプ場に到着。

このキャンプ場は、JimJimFallから流れるJJimJimCreekの横にあるのだが、この乾季の終わりでも、Creekには水があふれ、大木が立ち並び、涼しく、まさに砂漠のオアシスだった。

「今日はここで晩まで昼寝するぞ!!!」

と張り切って、大木の下にマットを敷き、水をかぶって寝転ぶ。すがすがしい空気、青々とした葉、飛び交う蝶。そして、霧のような水のシャワーが上から降りてくる。大木が自分自身を乾燥から守るために、水を放出しているのだ。全く水のない砂漠のような所を通ってきたあとでは、全てが夢のようだった。夢心地とはこういう事を言うのだろう。

いよいよArnhemLand台地に登る日が来た。

KAKADUは高さ約250mの断崖絶壁によって、台地の上と、

下界の平原とに分かれている。JimJimFallの少し手前には、断崖絶壁になっていないなだらかな部分があり、ここから台地の上に登ることが出来る。

7・5リットルの水をザックにつめ、夕方、台地の上に登り、JimJimFallの上を目指して進む。途中Creekと思われる枯れた溝を横切る。

「やはり水はないか」

地図を見ると、JimJimCreekの手前に2本、小さなCreekがある。

「小さいCreekだから枯れているのだろう。JimJimCreekには水があるかもしれない」

わずかな希望で進む。そして、JimJimCreekにたどり着いたが、水はほとんどなく、わずかな溝に少しだけ水が溜まっていた。

「やはり駄目か、これがあの夢に見たArnhemLand台地の姿なのか。」

JimJimFallの真上にテントを張り、キャンプ。その夜、僕がKAKADUに入って以来2度目の雨が来た。

「こうなったら、大雨でCreekに水が戻るのを願うばかりだ」

しかし、Creekに水が戻るほどの雨は降らず、次の日、少し憂うつな気分で枯れたJimJimCreekを溯る。この日は1日中曇りだった。KAKADUに雨季が近づいていた。

少し溯ると、大きな水溜まりが目に入った。少し希望が出てきた。

奥に進むにつれ、いくつもの水溜まりが出現し、景色は次々と変化していった。

フレッシュウォータークロコダイルが波紋をたて、美しいスイレンの花が咲く沼地。バッファローの親子がいて、赤いハイビスカスの花が咲く森林地帯。カンアオイのある湿地。大木が立ち並び、干上がった川が砂の道になった並木道。プールの中に巨大岩石が立ち並ぶ奇岩地帯。深く切れこんだゴルジュ谷。

わずかな距離の間に、驚くほどさまざまな自然があるのだ。Colinさんが言っていたことがよく分かった。ここArnhemLand台地の上は、非常に変化に富んでいるのだ。

このバラエティーに富んだ自然が、乾季の終わりのカラカラの時期でも水を貯え、多くの命を次の雨季まで、つないでいるのだ。

この台地の上の土地は、KAKADUの命の源なのかもしれない。

3日間かけて、JimJimFallから上流に向かって歩き続け、20kmほど進んだ地点で、引き返すことにした。

ふと足元を見ると、紫色の何かの実がなっている。口に入れると甘い。心憎いKAKADUの贈り物を受け取り、さらに下っていくと、砂の上に、リンゴのような赤い実が落ちていた。

「Wild Red Apple」だ。KAKADUに入る前、「Bush Food」という本をチラッと見ていて、このリンゴのことは知っていた。「乾季の終わりのArnhemLandにいっぱいある」と書いてあったので、少しは期待していたのだ。

この落ちたリンゴはまだ食べられそうなので、かじってみる。かなり酸味があり、ソーダのような味がした。中央には大きな丸い種が1つ入っている。直径5cmぐらいで、大きく、見た目はほとんど普通のリンゴと変わらない。乾季の終りのこの時期は、何の恵みもないように見えるのだが、こういううれしい恵みもあるのだ。アボリジニーの重要なビタミン源だろう。

2日間かけて、JimJimFallの上まで戻り、断崖絶壁の上に座って、紫色に染まったKAKADU大平原を眺めていた10月9日、下界ではKAKADUを揺るがす大事件が起こっていた。

KAKADU生まれ変わりの瞬間

「Jabilukaウラン鉱山建設が決定した。」

Jabilukaウラン鉱山は、KAKADU National Park内,Jabiruの北20kmの所にあり、オーストラリアで最も有名で、世間の関心が高いウラン鉱山である。

「Jabilukaウラン鉱山を発見し、Pancontinental Mining Companyを設立し、Jabilukaウラン鉱山建設に人生をかけた「TONY GREY」が、この鉱山を発見したのが、1971年。そして、1976年の調査の結果、このJabilukaの地下に、20万5千tもの Uが眠っていることが明らかになった。加えて50万tの金もあることが判明した。この金だけでも十分商業鉱山にできるほどの量なのだ。

この発見で、Jabilukaのウラン埋蔵量は当時世界一、オーストラリア全体の50%も占めることになった。一気に報道され、Jabilukaの名は世界中に広がることになった。 」(TONY GREY著「Jabiluka-The Battle To Mine Australia’s Uranium」より)

ここで、オーストラリアのエネルギー事情を説明する。

オーストラリアはエネルギーリッチ国で、その大部分を石炭、次にウランが占める。石油は輸入しているが、オーストラリアのエネルギー産出量の70%は輸出している。石炭、ウランとも多くは日本へ輸出している。

ウランの埋蔵量は世界全体の3割を占める。

これだけエネルギー資源があって、人口1500万人、そして、今回の旅で分かったが、エネルギーを使わないナチュラルな暮らしが定着しているから、世界の3割のウランが眠っていても、オーストラリアには商業原子力発電所は1つもない(研究用の原子炉が一つだけある)。危険を冒してまで、作る必要はないのだ。おそらく将来も原発は作られないだろう。

オーストラリアで産出されるウランは全て輸出用である。

不幸なことに、KAKADU National Park内に、多くのウランが眠っている。現在、Jabiruの東5kmの所には、すでに稼動しているRanger ウラン鉱山がある。

「KAKADUの中に、世界一のウラン鉱山が発見され、商業鉱山が作られようとしている」

という事が世間に知れてから20年間、Pancontinental Uranium Companyと自然保護団体、そしてKAKADU内に住むアボリジニーとの間で、長い争いが続けられていた。

そして、1997年「Jabiluka鉱山建設が開始される」という事が分かり、自然保護団体は一気に反対運動を加速させた。僕がKAKADUを歩いていた時が、その最も山場の時だった。

「鉱山建設を中止できるのか?」

Jabiluから、歩いている時、道路上に、

「NO URANIUM MINE」

と大きく描いてあったのを見た。

賛成派の意見は、

「オーストラリア経済の発展、雇用増加。鉱山は自然環境に影響を与えない。アボリジニーの生活保護、生活水準の向上」

反対派は、

「Jabilukaウラン鉱山はKAKADU湿地の500m横、アボリジニーのコミューニティーから10分の距離にある。Rangerウラン鉱山はすでに大きな影響を自然環境に与えている。Jabilukaも影響を与えるのは間違いない。」

このJabilukaウラン鉱山建設問題は、ただの鉱山と違い、「核と自然環境の対立」という点で、KAKADUの自然破壊以上の問題を含んでいるのだ。

オーストラリア全土はもちろん、世界がその結論に注目していた。

そして、鉱山建設にGOサインが出された。

そんな事が起こっていたなんて、全く知らず、ArnhemLand台地の上から下界に降りると、下界では、もう一つの大事件が起きていた。

たまたま通りかかった4WD車の人が僕に言った。

「あなた、Jabiruから歩いてきた人でしょう。キャリアーを押して。」

「今どういう事が起こっているのか知ってる。KAKADU National Parkのレインジャーがあなたが遭難したと思って捜索しているのよ。クロコダイルに襲われたんじゃないかと。明日にはヘリコプターで捜索することになっているのよ。私がレインジャーに、あなたが見つかったということを電話するから名前を教えて。」

あまりの急な出来事に、僕は自分のした事の重大さをすぐには理解できなかった。

僕は、キャンプ場に木製キャリアーといくらかの荷物を残して、ArnhemLand 台地トレッキングに出かけていた。1週間もそのままになっているキャリアーを見て、レインジャーは何かトラブルがあったに違いないと思って、捜索していたのだ。KAKADU National Park内で、1泊以上の山歩きをするには、許可が必要で、僕はそれをとっておらず、違反していたのだ。

僕は自分のした事を後悔した。国立公園の決まりをもっとよく調べて、ちゃんと許可を取るべきだった。

僕は激しい自己嫌悪に陥った。何という恥ずかしい事をしてしまったんだ。あやまりようがない。

JimJimFallキャンプ場からは、ヒッチハイクでのんびりと帰ろうと思っていたのだが、この自己嫌悪の気持ちを紛らわすには、この灼熱の道を、再び歩くしか方法がなかった。キャンプ場の人たちにあいさつするのも恥ずかしかった。早朝、逃げるように、再び深い砂の道を歩きはじめた。

途中ですれ違う4WDの人は、みんな僕が許可を取らず、行方不明になっていた事を知っていたが、

「無事だったか。」

「みんなクロコダイルに食われたんだと思っていたんだぞ。」

「どこへ行ってたんだ。何、JimJimFallの上を歩いてきたのか。そりゃすごい。どうだった,Good Walkだったか?」

「それではよい旅を」

と、みんな全然僕の事を批判せず、笑って言ってくれるのだった。

みんなの言葉に励まされて、少し調子が出てきたなあと思っていたら、向こうからオートバイがやってきた。ヘルメットを取ると長い髪。日本人女性オートバイライダーだった。

「オーストラリア一周鉄馬美女(?)一人旅」とタイトルを付けて、オーストラリアをバイクで旅している真紀子さんは底抜けに明るかった。

その明るさを分けてもらって、だいぶん調子が出てきたなあと思っていたら、向こうから汚れたピックアップ車がやってきた。荷台にはゴミ袋が!!

「レインジャーだ!!」

ピックアップ車は止まり、中から3人のレインジャーが出てきた。色の黒いアボリジニーの人が言った。

「私はJeffだ、あなた、ウォーキング許可書持っていますか。」

この人Jeffが、このKAKADU National Parkの最高責任者だと聞いていた。

「ごめんなさい。KAKADU National Parkに入るためのものは持っているけど、ウォーキング許可書は持っていません。」

と言ったつもりだったが、Jeffはこう言った。

「あの、あなたの友達は英語がよくできますか?」

真紀子さんは英語教師の資格を持っていて、英語はぺらぺらだった。

「彼は許可を取らず、ウォーキングに行き、荷物をキャンプ場に置き去りにして、みんなに心配をかけた。」

「そうだけど、彼は許可が必要な事を知らなかったのよ。今はそれを理解しています。彼は今回の事を深く反省しています。彼はこれからどうするべきですか。何かお金を払わなければなりませんか?」

「ウーン、彼はこれからどこへ行くんだ?」

「Cooindaまで行きます。」

「いつそこへ着く。」

「明日かあさってです。」

「何!?、今日の午後じゃないのか?」

「いや、明日かあさってです。なぜならば、彼はウォーキングだから時間がかかります。」

「それではCooindaに着いたらKAKADU 国立公園本部に電話をして下さい。到着して、大丈夫だという事をレインジャーに知らせて下さい。」

ほとんどお金が尽きた僕が最も恐れていたのは、国立公園法に違反した罰金を払わなければならないかもしれないという事だったが、助かった。

「それだけでいいですか」

「次回KAKADUを歩く時は、ちゃんと許可を取って下さい。」

これだけで済んで良かった。ヘリコプターが飛ぶ前で良かった。もし飛んでいたら、これだけでは済まなかっただろう。しかし、これからは法律とか規則とかをちゃんと調べて絶対問題が起こらないようにしなくてはいけないと思った。

次の日、一気にCooinda目指して進む。昨日は、精神的不安や、多くの出会いがあったので、気付かなかったのだが、良く見ると、ダート道の両側の林は青々しているのだ。

「あれっ、こんなに青々していたかなあ?来る時は砂漠みたいやったのに。」

来る時は枯れたように見えた木がすべて新芽を大きく伸ばしている。そして地面。僕が前にここを歩いた時、火事で焼かれ、太陽に焼き尽くされていた灰色の地面がうっすらと青くなっているのだ。よく観察すると、あの花壇にまいた種が、ある時一斉に、一様に同じような芽を出すような感じで、灰色の地面に、一様に同じような背丈の芽が伸びているのだ。せっかく伸びた草には申し訳ないが、2、3本引っこ抜いてみる。根のすぐ下にはまだ新しい種の殻が、どの草にも同じように付いていて、明らかに発芽したのは最近だ。

僕がこのダート道に入った時に降った雨、ArnhemLand台地の上を歩いていた時に降った2度目の雨、そして、今の強い日光。

「KAKADUは生まれ変わりの第一歩を踏み出したんだ。その瞬間を僕は見れたんだ。」

僕がKAKADUにいた2週間の間に、KAKADUは明らかに変わった。発芽した草は、これからの雨で、どんどん伸びていきうっそうと茂る草原となるだろう。そして、雨季の大洪水で余分なものは流され、草の生い茂る新たなる大地となるだろう。

そして、アボリジニーがなぜ自らの手で火事を起こすのか、理解できたような気がした。

焼き尽くされて灰色になった地面に草が一斉に芽を出すと、とてもすがすがしいいい感じがするのだ。新たなる生命の始まり。

オーストラリア・アボリジニーの本にこんなことが書いてあった。

この地球。

我々は一度もダメージを与えてはいない。

我々は世話をしているのだ。

火を放つ事は何という事はない。

ただ浄化しているのだ。

そしてこれは、

良い動物がすぐやって来る事を意味する。

goanna,possum,wallaby

大地を燃やせば、新たな草がやって来て、

新しい生命にあふれる。

数日後、僕は新たな希望を胸に、太陽のふるさと、

日出づる国日本へ帰った。

あとがき

僕が少年時代(1980年代)を過ごした兵庫県の姫路市は近都会だったが、まだその当時近所の沼にはザリガニもカメもフナも大量にいた。そして、僕は昆虫少年で、毎日山に行っていたから、どこにどんな種類の昆虫がいて、どういう生活をしているのかをほとんど把握していた。しかし、高校になったころには、いつのまにか沼は埋め立てられ、林は伐採され、そこから完全に姿を消してしまった生き物たちを何種類も知っていた。特に蝶の幼虫はたいがい1種類の草木しか食べないから、その木を切られてしまうと簡単にその場所では絶滅してしまうのだ。

そんな悲しい現実をこの目で見てきたからだろう。環境にやさしい太陽エネルギーを利用した生活が普及すれば、僕の好きな日本の自然を守れるかもしれない、僕1人でも出来る事があるはずだとソーラーバイシクルの旅を思いついたのだった。

オーストラリアに広がりつつあるソーラーパワーハウス。自然と共に生活し、それを大切に思う国民性。降り注ぐ強烈な太陽光線。オーストラリアでは近い将来、ソーラーパワーが電力生産の重要な一部を占めるようになると僕は予想している。

太陽電池と聞くと、とても難しいものだと想像する人もいるかもしれない。確かにその理論とか製造法とかは、とても高度なものだ。しかし、その応用を考えると、実は太陽電池はとても簡単なものである。

太陽電池はいわば、光が当たっている時だけ機能する乾電池である。乾電池のように2つの電極の間に電球をつなげば光るし、モーターをつなげば回る。実際に使用するには太陽の光は不安定だから、バッテリーなどの補助やコントローラーが必要になってくるが、基本的にはとても簡単なものだ。

将来のエネルギー源として、太陽電池を考えた時、この単純さこそが大きな利点であるといえる。一般の人でも簡単に理解でき、利用する事が出来る。オーストラリアの一般家庭で普及しはじめているのはこのためでもあると思う。

Jabilukaウラン鉱山建設が大問題になっていた時の新聞にこんな事が書いてあった。

「オーストラリアの石炭、ウラン、その他の資源の全埋蔵エネルギーは、オーストラリア全土に降り注ぐ太陽エネルギーのたった13日分にすぎない。」

太陽エネルギーは膨大なエネルギーなのだ。

値段は高いが、日本でも最近、太陽光発電システムを設置した家が次々と出現している。そして、風力発電も商業発電所として事業化されるという驚くべき展開になっている。

Murray Riverを下っていた時、内陸部では風が吹かない変わりに太陽がさんさんと照り、河口近くでは、曇りがちの天気の代わりに毎日安定した強い風が吹いていた。太陽エネルギーと風力エネルギー。太陽の風に乗ったあの瞬間、この二つの自然エネルギーでたいていの事が出来るのではないかと思ったのだった。

最後に、大学時代、僕と夢を追ってくれた山口氏、会社を2週間も休んでWSCC’96に出場してくれた安田氏、僕に素晴らしいプレゼントをくれたサンタクロースのアラン氏、僕にソーラーパワーハウスの夢を与えてくれたColin、Alan両氏、僕をブルーベリーファームで働かせてくれ、敷地内でのカヤック製作にも何も言わずに暖かく見守ってくれたヘレンさん、僕の身を心配してくれたKen氏、他にも僕を助けてくれた多くの人達に心から感謝します。

1999年6月10日 高嶋 正裕

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